念願のオーストラリアでワーホリLIFE!

念願のオーストラリアでワーホリLIFE🌊

【2019年9月27日ワーホリSTART】オーストラリアでの日々を日記として書き留めていこうとおもいます。

「あなたが信じるものを、誰かに決めさせてはいけないわ。」サラバ!(上・中・下)著 西加奈子 #1

とってもいきなりですが、読書感想文的なこともブログで初めていきたいなとおもいます。


西加奈子さんのサラバ!。私の大好きな本で、コロナウイルスの間にもう一度読み直しました。(2年前に初めて読んだ)
長編ではあるものの読むことが全く苦痛にならず、逆に読み終えることが嫌で最後らへんは2~3ページずつ毎晩ゆっくり時間をかけて読んでいたぐらい大好きです。

西加奈子
1977(昭和52)年、イランのテヘラン生れ。エジプトのカイロ、大阪で育つ。
サラバ!』で第152回直木賞を受賞。本屋大賞でも2位に選ばれる。



まず簡単にあらすじを説明すると、主人公の男の子である僕(圷 歩)の幼少期時代から始まり、彼が大人になるまでの物語。
常にいい子な僕、容姿が美しい直感型の母、静かで空気のような真っすぐな父、そして問題行動を起こしまくりな変わり者の姉。この家族構成のもと圷歩の人生が始まっていく。
父親の海外赴任先であるイランで生まれ、幼少期のほとんどをイラン、エジプトと海外で過ごしている点では作家である西加奈子さん自身の幼少期と重なる部分である。
家族、友情、恋愛、宗教、文化、芸術、音楽、自分探し、世界情勢など様々なストーリーを盛り込んだ”人生に揺れている人”に対する長編小説。


感想

この本の中には家族だけではなく、たくさんの重要人物が存在する。その中でもわたしは須玖という友人のこの言葉が印象的。
「なんで俺やなかったんやろうって。」
須玖という人物は主人公の親友であり、”感じやすい”性格の持ち主である。(ちなみに須玖のイメージモデルはお笑いピースの又吉さん。)

ある地震による被害でたくさんの人たちが死亡し苦しんだ問題に対して須玖はこの言葉を放ち、普通に生きてしまっている自分を恥じます。

これは小説の中だけでなく私の記憶にも新しい、東日本大震災のことを思い出させる瞬間でした。

わたしは東日本側で起こっている問題の中で通常の生活を西日本側でおくっていました。同じ日本で起こっているものだとおもえませんでした。
「なんで俺やなかったんやろう」。この気持ちと同等のものが私のなかにあることに気がつきました。なんで私じゃなかったんやろうって。
決して病んでいるわけではなく、シンプルにそうおもうんですよね。これは西加奈子さんの考えでもあり、何人かの人が感じることでもあるのでしょう。だっていまもこの瞬間で死んでいる人は存在して、飢餓、虐待、戦争、事故でたまたま自分じゃない誰かが死んでいて。これって誰が決めたんやろう。前世に悪いことした人?神様に何らかの理由で選ばれた人?考えても誰もわからないですよね。

幸せを感じることが悪いわけじゃなくて、ただただそんな自分が恥ずかしくなる。そういった風に書かれていました。
だから私は「謙虚」に生きていくことが大切になるんじゃないかとおもったんですね。たまたま幸せな環境にいる自分を恥じながら、謙虚に生きていくしかないんじゃないかと。


圷歩は幼少期から大人になるまで、いい子に、周りを観察しながらどう荒波を立てないかを考えて生きていきます。
格好良くて帰国子女で人気者で、、、そんな風にいつも誰かと比べて生きてきた彼の心は常にブレブレでした。

私も自分に軸が無いなぁって就活を意識し始めた21歳ぐらいのときに考え始めて、いまも悩み続けていることの一つです。
「自分の軸が無い」
私も歩くんと同じでブレブレやなって思いました。名前もほぼ一緒やし、これ私やんって。(笑)
そしてある日、突然の変化によって彼の人生はどん底になるんです。もう今まで以上にぶれにぶれまくります。でも何があったかを書けへんから読んでほしい。

たまに人って一瞬で目の前が真っ暗になるときあるじゃないですか。他人にはわからない自分だけにとっての大事件が!
簡単なことで自信喪失、自己肯定感下がりまくり、もう何もしたくない。ブレブレな私はしょっちゅうそんな風になっています。


絶対に幸せになるべきだった僕が残酷にも堕落していき、あの問題児の姉はついに見つけるのです。彼女自身の信じるものを。
サラバ!を読んだ人にだけわかる、サラバの意味。

自分は何がしたいのかわからない人、"信じる"ことがわからなくなってしまった人に読んでほしい。


ではまた!